文化服装学院進学のきっかけは、スケートボード
雑誌、広告をはじめ、ミュージシャンや俳優など、様々な分野のスタイリングを手掛けている黒澤 充さん。さぞや子どものころからファッションが大好きだったのだろうと思いきや「趣味は中学生のころからはじめたスケートボード。高校卒業後の進路を考えていたころ、大好きなスケートボードと繋がりのある分野に進みたいと思って。スケートボードもファッションもひっくるめた“カルチャー”を学んでみたいと思ったのがきっかけです。でも、ファッションの知識は、母とよく見ていたテレビのファッション情報番組からぐらいで。スタイリスト科を選んだのも、一番言葉の響きがよかったから(笑) 当時は、ブランド名もほとんど知りませんでしたね」
実践で身につけたスタイリストの仕事
文化時代はしょちゅう授業をさぼっていた(!)という黒澤さんですが、卒業してから、あらためて「スタイリストって何だろう」と考えるようになったとか。「卒業後、スタイリストの望月 唯さんのアシスタントに就いて、はじめて仕事の現場を見ました。当時、マガジンハウスから発行していたカルチャー誌が好きで、その雑誌のスタイリングを担当していたのが望月さんだったんです。アシスタントになってからは、撮影用の洋服や小物をプレスルームから借りるためのアポ入れや、靴の底張りなど、授業では経験していない仕事ばかりで……。一つ一つの仕事をこなすのに必死でした。スタイリストの仕事は、人との繋がりも大切な世界なので、コミュニケーションの必要性も感じましたね」
仕事を認めてもらえて、師匠と同じ事務所に
アシスタントから独立し、フリーの仕事をスタートさせたのは2006年のこと。「フリーで仕事をしながらも、アシスタント時代に出入りしていた事務所『eight peace』にまた入りたいと思っていました。スタイリストとして事務所の一員になることを一つの目標にしていましたね」。2009年には努力が実り、師匠である望月さんをはじめ、スタイリスト、カメラマン、ヘアメイクアップアーティストなどが籍をおく『eight peace』に所属。また、独立してからは、黒澤さんがアシスタントを育てる立場にも。「スタイリストのアシスタントはまじめな人が一番。ファッションの知識はあるに越したことはないけれど、まずコミュニケーションがとれることが大切。やる気さえあれば、センスは磨かれてくるものです」